天神さまの深いお話

北野天満宮と梅

梅は御祭神であられる菅原道真公がこよなく愛された花で、御神縁深き愛木として親しまれています。北野の境内神域には、菅公ゆかりの梅が約50種、およそ1,500本植わり、梅花咲き誇る2月から3月にかけては境内一円を梅の馥郁たる香りに包まれます。

創建以来、代々受け継がれる「飛梅」

―御本殿前の梅は菅公が育てられた伝説の飛梅―

境内に数ある梅の中で、御神前に植えられることを許された唯一の梅。
当宮に遺される史料や文献等からは、平安時代、菅公が自邸の紅梅殿で丹精込めてお育てになられた紅梅を絶やさぬよう、当宮創建以来、代々御神前で守り受け継いできたことがわかります。
当宮所蔵の「宮仕日記」寛政5年(1793)11月25日条には、「庭上(御本殿前)の梅の木はいわゆる飛梅の種に間違いなく、この梅の前に「飛梅木」と記した石碑を建てるか否か」などのやりとりの様子が記されており、寛政年間当時、庭上(御本殿前)に植えられた梅について、飛梅伝説伝承の御神木と位置づけられる特別な梅であると広く認識されていたことが読み取れます。
創建以来、接木によりその種を絶やさないよう守り受け継がれてきた飛梅は、天神信仰に語り継がれる飛梅伝説のはじまりの梅なのであります。

菅公と梅花

菅公は生涯に亘り、梅花をこよなく愛されたと伝わります。
菅公の愛木であり御神木として大切に受け継がれる梅は、天満宮の象徴として人々に親しまれています。

菅公御歌
菅公

東風吹かば
匂ひおこせよ
梅の花
あるじなしとて
春を忘るな

東から春風が吹いたら、梅の香りを(京から太宰府まで)送っておくれ、梅の花よ。主の私がいなくなったからといって、春を忘れてはならないぞ。

この御歌は菅公が昌泰四年(901)、大宰府(現在の九州、福岡県)に旅立たれるにあたり、自邸(紅梅殿)に咲く紅梅に別れを惜しんでお詠みになられた御歌です。
菅公は住み慣れた紅梅殿を去るにあたって、懐かしさの余り心なき草木にも契りを結ばれ、万感の思いで大宰府へと旅立たれました。この御歌はいわれなき無実の罪により、大宰府へ左降される菅公の深い悲しみと望郷の想い溢れる名歌として現在に語り継がれています。
菅公の祥月命日にあたる2月25日には梅花祭が厳粛に斎行され、境内一円は御祭神の御遺徳を偲ぶかの如く梅が咲き誇り、馥郁たる香りに包まれます。

京都洛中の名庭「雪月花の三庭苑」のひとつ、

梅苑「花の庭」

菅公ゆかりの梅花およそ1,500本を有する京都随一の梅の名所として親しまれる境内梅苑は、江戸時代には、歌人・連歌師であり貞門俳諧の祖と仰がれた松永貞徳作庭の「雪月花の三庭苑」で名高い、清水寺の「月の庭」、妙満寺の「雪の庭」と共に、北野の「花の庭」として名を馳せました。
来る令和9年に斎行する式年大祭「菅公千百二十五年半萬燈祭」に向けて大祭の盛儀醸成を高めるため、梅苑を令和再興「雪月花の三名苑」のひとつ梅苑「花の庭」として、往時の美しい姿に蘇らせ、「雪の庭」「月の庭」「花の庭」揃って、新たな京都の魅力を発信して行きます。

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開門時間

7時〜17時

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