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北野文化研究所

学問の神のもと千有余年の歴史を繙く

北野天満宮において脈々と行われてきた天神研究の伝統に基づき、当宮の千有余年におよぶ歴史を繙き、天神研究を更に発展させてゆくため、平成30年(2018)北野天満宮内に設置されました。当宮に遺された貴重な文書、御神宝を調査・研究し、その成果を広く皆さまにご覧いただくことを目指しています。

天神研究へのいざない

北野天満宮史料紹介

昭和40年代より現在に至るまで進められてきた当宮所蔵の史料・記録類の調査研究の成果が翻刻本という形で発行されています。既刊本は『目代日記』から『御土居編年史料』までの17冊と筑波大学所蔵の史料を集めた『社家日記』6冊、目録2冊の全25冊ですが、今後も不定期に刊行を予定しております。 既刊本に関しては在庫のあるものはお求めいただけますので、ご購入希望の方は北野天満宮までご連絡ください。

天神信仰ならびに北野天満宮関連年表

天神信仰ならびに北野天満宮に関する歴史的事項を、年表形式で掲載いたします。
菅原道真公(菅公)が承和12年(845)にお生まれになり、学者として政治家として位人臣を極め薨去されたのち、およそ百年をかけて醸成され、千年受け継がれる天神信仰の歴史をどうぞご覧ください。


菅公の一生

承和12年(845)

菅原道真公(菅公)御誕生

嘉祥2年(849)

菅公5歳にして和歌「美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」を詠む

斉衡2年(855)

菅公11歳にして漢詩「月夜に梅花を見る」を詠む

貞観4年(862)

菅公18歳にして文章生の試験に合格

貞観8年(866)

菅公22歳にして比叡山延暦寺円仁の『顕揚大戒論』の序文を書く

貞観9年(867)

菅公23歳にして文章得業生となる

貞観12年(870)

菅公26歳にして方略試に合格する

元慶元年(877)

菅公33歳にして文章博士となる

仁和2年(886)

菅公42歳にして讃岐守に任ぜられる

仁和4年(888)

阿衡紛議につき藤原基経に良識的な意見書を提出する

寛平3年(891)

帰京翌年、宇多天皇の信任を得て蔵人頭に任ぜられる

宇多天皇と菅公による善政を敷いた時代は、のちに「寛平の治」と称せられる
寛平4年(892)

菅公編による『類聚国史』が成立する
また『日本三代実録』の編纂に着手する

寛平5年(893)

菅公49歳にして参議に任ぜられる

寛平6年(894)

菅公50歳にして遣唐大使に任ぜられるも、唐の衰運などを理由に停止

昌泰2年(899)

菅公55歳にして右大臣に任ぜられる

昌泰3年(900)

『菅家文草』を成す

昌泰4年(901)

菅公、讒言により大宰権帥として大宰府へ左遷される(菅公57歳)

延喜3年(903)

『菅家後集』を成す
2月25日配所にて薨去(享年59歳)


天神信仰の誕生と発展

平安時代

延喜9年(909)

讒言の中心人物であった藤原時平没す

延喜23年(923)

皇太子保明親王没す
菅公を元の右大臣に復して正二位を贈り左遷の宣命を破棄する

延長8年(930)

清涼殿へ落雷
相前後して疫病や政情不安が多発する

天慶5年(942)

多治比文子 神託を受けて西ノ京七条の居所に祠を構える

天暦元年(947)

近江国比良宮良種の子太郎丸に託宣
天神の居所を「北野右近馬場」とする

天暦元年、村上天皇のとき、平安京の天門北野の地に鎮座―北野天満宮創建
天徳3年(959)

右大臣藤原師輔、社殿を増築する

寛和2年(986)

慶滋保胤の『賽菅丞相廟願文』に「文道之祖詩境之主」とあり

永延元年(987)

一條天皇より「天満大自在天神」の神号を賜り勅祭北野祭が斎行される

歴史上で菅公が神として祀られるようになり、勅祭としての北野祭がはじまる
正暦2年(991)

十九社に加えられる

正暦4年(993)

菅公に正一位並びに太政大臣が追贈される

寛弘元年(1004)

初の一條天皇行幸(臣下を祀る社への初めての行幸)

寛弘9年(1012)

大江匡衡の『北野天神供御幣并種々物文』に「文道大祖風月本主」とあり

中世

永保元年(1081)

皇城守護として定められた二十二社に加えられる

建久5年(1194)

『北野天神縁起』(建久本)成る(詞書のみ)

承久元年(1219)

『北野天神縁起絵巻』(承久本)成る【根本縁起】

弘安元年(1278)

『北野天神縁起絵巻』(弘安本)成る

乾元元年(1302)

後宇多天皇行幸、作文会が行われる

明徳2年(1391)

3代将軍足利義満による一万句連歌法楽、北野祭の神輿見物あり

応永8年(1401)

北野経王堂建立(東大寺大仏殿をしのぶ規模であったと伝わる)

15世紀半ば、世阿弥が天神ゆかりの『老松』『右近』を作能する
応仁元年(1467)

室町幕府の崇敬で北野祭隆盛を極めるも応仁の乱により途絶える

長享2年(1488)

宗祇、北野連歌会所奉行となる

天正15年(1587)

豊臣秀吉公、千利休らにより境内で北野大茶湯が催される

近世

慶長8年(1603)

出雲阿国が北野境内の舞台でややこ踊り(歌舞伎踊り)公演

慶長12年(1607)

豊臣秀頼公、北野社社殿を造営する【慶長の大造営】

元治元年(1864)

勅命により北野臨時再興

慶応4年(1868)

神仏判然令(神仏分離)により、およそ一千年にわたる神仏習合が終わる(比叡山延暦寺の社務を統括していた曼殊院との関係が解消される)

近代・現代

明治4年(1871)

北野天満宮 官幣中社となる

明治35年(1902)

菅公千年大萬燈祭を斎行する

昭和27年(1952)

菅公千五十年大萬燈祭を斎行する

平成14年(2002)

菅公千百年大萬燈祭を斎行

令和2年(2020)

例祭(かつての北野祭)斎行に伴い比叡山延暦寺とともに北野御霊会を再興

令和9年(2027)

菅公千百二十五年年半萬燈祭を斎行予定

天神信仰研究関連文献目録

菅原道真公ならびに天神信仰に関する研究の蓄積には目を見張るものがあります。これから天神研究を志す皆さまの一助となれるよう、先人たちの研究成果をまとめた文献目録を公開予定です。

準備中

開門時間

7時〜17時

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