祭典・行事

菅公御神忌千百二十五年半萬燈祭

萬燈祭とは

「菅公の慰霊」と「菅公精神の継承」と「形の継承」

菅原道真公(菅公)を御祭神としてお祀りする当宮では、菅公がお亡くなりになって後50年ごとに「大萬燈祭」、その間の25年ごとに「半萬燈祭」と称する最も重要な祭典を斎行し、神賑行事を行うなどして「菅公の慰霊」と「菅公精神の継承」を行ってまいりました。
またこの大祭にあわせて、御社殿の大規模な修造並びに境内維持整備を行い、平安時代より受け継がれてきた御社殿建造物群をはじめとする境内神域を後世に遺す「形の継承」も同時に行い、北野社の歴史・文化・伝統を未来へと紡いでまいりました。

萬燈祭の歴史

現在の御本殿は、慶長12年(1607)に豊臣秀頼公が造営。片桐且元が普請奉行を務め、豊臣家の天神崇敬の象徴として、豊臣家の権威と莫大な財力をかけて修造を手掛けられ、御本殿をはじめ、摂末社に至るまでの御社殿群が新たに造営されました。

 嘉永5年(1852)斎行の九百五十年大萬燈祭正遷宮図

嘉永5年(1852)斎行の九百五十年大萬燈祭正遷宮図

明治35年
(1902)

千年大萬燈祭

明治35年(1902)に斎行された菅公千年大萬燈祭では、その記念事業として御本殿御屋根檜皮の葺き替え工事は勿論のこと、現在の楼門が事業の一環として建設され、その模様の写真が今も当宮に残っています。

御本殿御屋根檜皮葺き替え工事

御本殿御屋根檜皮葺き替え工事

楼門の竣功を祝う人々

楼門の竣功を祝う人々

昭和3年
(1928)

千二十五年半萬燈祭

続く昭和3年(1928)に斎行された千二十五年半萬燈祭では、主要記念事業の一つとして現在の宝物殿が建てられ、桃山文化様式の国宝御本殿との調和を図るため、宮殿造の様式を取り入れ、当時の建築技術と匠の技を結集した建設となりました。

またこれら千二十五年半萬燈祭記念事業の完遂のため、各界の有識者らが尽力され、全国各地の崇敬者より多くの寄附金や浄財が納められました。当時の当宮崇敬会「北野會」の顧問には、日本経済の父と呼ばれた渋沢栄一氏が就任し、奉賛の誠を捧げられたのも有名なお話です。

宝物殿建設

宝物殿建設

楼門下出店の様子

楼門下出店の様子

昭和27年
(1952)

千五十年大萬燈祭

戦後間もない昭和27年(1952)に斎行された千五十年大萬燈祭では、敗戦から立ち上がる人々の活気あふれる様子が記録されています。

千五十年大萬燈祭では、厳粛な祭典と盛大な神賑行事が数多く執り行われていた記録が残っています。当時の横綱羽黒山や照國の神前土俵入りや稚児「八乙女」による奉納舞、大萬燈祭斎行を記念して、花街上七軒の歌舞練場にて第1回「北野をどり」が上演されたのもこの年です。

北野の地は、かつて天下人豊臣秀吉公が催した空前絶後の大茶会「北野大茶湯」の舞台であり、かの有名な出雲阿国が初めて歌舞伎をどり(ややこをどり)を上演した場所でもありました。萬燈祭とは、文化芸能の神様として信仰される御祭神菅公の御遺徳を偲び、五十年に一度、二十五年に一度、我が国のあらゆる伝統芸能や文化行事が北野の地で奉納され、人々が集う文化祭典の一面も持ち合わせているのです。

八乙女舞神前奉納

八乙女舞神前奉納

神賑行事 横綱羽黒山 土俵入り

神賑行事 横綱羽黒山 土俵入り

上七軒歌舞会 第1回「北野をどり」上演

上七軒歌舞会 第1回「北野をどり」上演

平成14年
(2002)

千百年大萬燈祭

前回の萬燈祭であった平成14年(2002)の千百年大萬燈祭では、御本殿御屋根総檜皮葺を6年がかりで全面改修し、壮麗な八棟造の檜皮葺大屋根を甦らせました。檜皮葺御屋根の面積は1,380平方メートル(約500坪)で、葺き替えに要した檜皮は70万枚、重さにして約50トン。のべ約千人の技術者を要した大改修でした。

御本殿檜皮葺の葺き替え工事完成

御本殿檜皮葺の葺き替え工事完成

三光門前の奉納御神燈提灯

三光門前の奉納御神燈提灯

あわせて50棟にのぼる摂社末社の改修も終え、3月6日の記念の祭典を皮切りに献茶式・献花式といった伝統文化や能・狂言などの古来芸能の奉納など、当宮らしい行事が華やかに執り行われました。

摂末社の修理

摂末社の修理

参道の整備

参道の整備

舞楽「納曽利」奉納

舞楽「納曽利」奉納

裏千家家元ご奉仕による献茶祭

裏千家家元ご奉仕による献茶祭

上七軒芸舞妓 歌舞奉納

上七軒芸舞妓 歌舞奉納

金剛流 能楽奉納

金剛流 能楽奉納

横綱貴乃花 土俵入り

横綱貴乃花 土俵入り

維新勤皇山國隊 鼓笛奉納

維新勤皇山國隊 鼓笛奉納

当宮にとって萬燈祭は、その時代の世情に鑑み、 求められる要請に応えながら、天神様の御神域たる境内を維持発展させ、 天神信仰を更に発揚させていく契機となる大変重要な祭儀であり、行事であるのです。

令和9年(2027)斎行

御神忌千百二十五年半萬燈祭に向けての事業

檜皮が美しく葺き替えられた東廻廊御屋根(平成30年12月)

今回の半萬燈祭では、国宝御本殿に連なる重要文化財の東西廻廊御屋根檜皮葺き替えを中心的な事業として位置付け準備を進めていましたが、平成29年(2017)に襲来した台風18号・21号によって境内は甚大な被害を受け、修復予定の廻廊御屋根檜皮葺が大きく剥離し、一刻も早い修理が求められる状況でした。この事態を受け、当初の修繕事業日程を前倒しし、東西の廻廊檜皮葺修復に着手。平成30年度(2018)に東廻廊、令和元年度に西廻廊の修繕が無事完了しました。

平成26年
(2014)
紅梅殿を曳家工法にて移築

紅梅殿を曳家工法にて移築

境内整備事業としては、先ず平成26年(2014)に紅梅殿を曳家工法にて三光門の南西側に移築し、その前には菅公邸宅に実在し、北野天神縁起絵巻の「別離の段」に描かれた庭苑の景色を再現しました。その名も「船出の庭」とし、平成30年(2018)からは春秋に「曲水の宴」を催しています。

平成29年
(2017)
文道会館を新築

文道会館を新築

楼門西側に「文道会館」が完成。天神信仰の更なる昂揚を目指す教学的な活動を行う場として、また御祭神菅公の御心が宿る伝統芸能をはじめとする様々な文化発信基地として竣功しました。

令和2年
(2020)

国宝御本殿内部(前拝殿・拝殿・中段・石の間)の床板や柱等の柿渋塗りによる修繕に加え、御本殿廻りの透塀ならびに後門檜皮葺の保存修理を行いました。

柿渋塗りが施された御本殿の床と柱

柿渋塗りが施された御本殿の床と柱

柿渋塗りが施された御本殿の床と柱
令和3年 (2021)
柿渋塗りが施された御本殿の床と柱
柿渋塗りが施された御本殿の床と柱
柿渋塗りが施された御本殿の床と柱

梅苑の整備事業を行い、参拝者の方々により梅の景色を楽しんでいただけるよう新たに展望台を新築しました。また、江戸時代に松永貞徳が作庭した京都洛中の名庭「雪月花の三庭苑」のひとつ、北野天満宮「花の庭」を再興しました。これは、妙満寺の「雪の庭」と、清水寺の「月の庭」、そして北野松原の北野天満宮は梅花観賞の「花の庭」があり、名庭園として名を馳せましたが、明治維新で取り壊しとなったものをこの度再興いたしました。

今後も半萬燈祭斎行に向け、摂末社の修繕事業や神苑整備、また往古の「北野祭」復興などの旧儀復興等の事業を予定しております。

当宮では、この度の歴史的にも文化的にも意義深い諸事業を完遂し、千百二十五年半萬燈祭を盛大に斎行し、平安の昔より我が国の精神的・文化的支柱であった天神信仰を国内外に益々発揚して参るため、北野天満宮講社を組織しその奉賛を広く仰いでおります。
皆様方には上記趣旨をお汲みとりいただき、格別のご高配をもちましてご奉賛賜りますようお願い申し上げます。

お申し込み方法

奉賛金は、1口3,000円より一括または分納にてお納めいただけます。
・境内でのお申込み
・現金書留での申込み
・郵便振替での申込み
(北野天満宮講社 記号00910-7 番号188257)

開門時間

7時〜17時

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