天神さまこと菅原道真公(菅公)の一生と、死後北野天満宮に神として祀られるまでの様々な逸話・伝説を描いた『北野天神縁起絵巻』。中世からさまざまに語られ、描かれてきましたが、その中で残念ながら未完ではありますが最大最古の大作が、教科書でもおなじみのこの『北野天神縁起絵巻 承久本』と呼ばれる絵巻です。
承久本は、少なくとも承久年間には成立していたことからそう呼ばれる鎌倉時代の絵巻で、長らく藤原信実の手になるものと伝えられてきました。根本縁起とも呼ばれるこの絵巻の特徴は、なんと言ってもその画面の大きさです。普通の絵巻では料紙が横に継がれているのに対して、承久本は料紙を縦にして継がれており、縦50センチメートルを超える大画面は、ダイナミックな筆致の絵と相まって圧巻です。
物語は、「幼児顕現」と呼ばれる、ある日突然菅公が父のもとに顕現する場面に始まり、文武両道の青年期、天皇より信頼を得て位人臣を極めた壮年期など、人としての菅公の偉業が称えられます。続いて、藤原時平の讒言により心ならずも大宰府に配流となる晩年の場面へと続き、その後、無念のうちに大宰府で薨去され、その祟りにより藤原時平や醍醐天皇に災いが降りかかる場面が描かれます。
おそらく最も有名な「清涼殿落雷(時平抜刀)」の段は、雷神となった菅公が自身に無実の罪を着せた藤原時平に天誅を下そうとする場面で、のちの俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一ら琳派による風神雷神図屏風に大きな影響を与えたともいわれます。壮絶な場面なのに、雷神と化した菅公の雷に打たれた殿上人たちが逃げ惑う姿が思わずクスッと笑ってしまうようなユーモラスな姿で描かれており、なんとも魅力的です。
明治15年(1882)、北野天満宮を訪れた東洋美術史家アーネスト・フェノロサは、北野天神縁起絵巻(承久本)を実見し、その感動を文章にしたため北野天満宮に託しました。そこには「この絵巻物は、ダンテの詩がヨーロッパの文学におけるが如く、全世界中の美術上の最貴重物、希世の宝物である」との最上級の賛辞がしたためられていました。ダンテの『神曲』地獄篇、煉獄篇を連想させる巻七の冒頭は、日蔵上人が鬼神とともに地獄へと落ちた醍醐天皇を訪ねる場面が描かれています。様々な地獄(八大地獄)の情景が生々しく描かれ、巻八にはさらに八大地獄に続く最後の地獄である無間地獄(阿鼻地獄ともいう)が描かれている大変斬新な絵巻でもあります。
承久本は、未完の大作であるが故にそこには描かれておりませんが、その後御神託により平安京の天門、北野の地へ菅公が祀られる場面や霊験談なども加えられ、北野天神縁起絵巻の形式が確立していきます。中世から近世にかけて土佐光信や土佐光起をはじめ、さまざまな人々により描かれてきた北野天神縁起絵巻。その魅力をぜひ一度皆さまの目でもご覧いただけましたら幸いです。
*『北野天神縁起絵巻 承久本』の高精細複製である『北野天神縁起絵巻 平成記録本』の展示は特別展の内容によって変更する場合がございます。