天神さまの深いお話

天神さまと御神号

御神号 狩野探幽筆

天神さまこと菅原道真公(菅公)の「神」としてのお名前「天満大自在天神」「南無天満大自在天神」を書き表したものを御神号といいます。菅公の一生と天神信仰の成立や北野天満宮の創建が描かれる『北野天神縁起絵巻』には、菅公が天拝山にのぼり天に無実を訴える姿が描かれています。天はその祈りに応えて菅公の無実を認め、神としての御名「天満大自在天神」が下されました。また史実としては、永延元年(987)に一條天皇より「北野天満大自在天神」の御神号を賜りました。

冒頭の「南無」は、元々はサンスクリット語の敬意・尊敬をあらわす「ナモ」という言葉からきており、仏教において絶対的な信仰を表す語として用いられてきました。南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経と唱えられますが、その南無と同じ役割です。歴史上長きにわたった日本特有の神仏習合の信仰の形がここにも見られます。

神の名を書き表すことで天神さまと結縁を結ぶという意味もあったのでしょう。歴代天皇、親王、大名方揮毫の御神号が、北野天満宮には数多く奉納されています。

また全国の寺子屋には、孔子像ともに学問の神、書道の神として慕われた天神様の御神号の軸がかけられ、御神酒が供えられていたとも伝わります。そのような事情もあり、全国各地に現在も多くの天神さまの御神号が残されており、その信仰の跡を見ることができます。

さてこちらは、江戸狩野派中興の祖といわれる狩野探幽(1602-1674)により書かれた一幅。探幽は京都で生まれ、16歳の若さで江戸幕府の御用絵師となった天才的な画家でした。大阪城の障壁画や二条城の障壁画を手掛けたのち出家し、探幽斎と称しています。こちらの作品には「探幽斎筆」との署名がありますので、出家後の作品であると考えられます。また瓢箪型の印影に見える「守信」の文字は、探幽の本名です。

探幽は、豪壮豪麗な桃山様式に対して、瀟洒、ときに淡白と称されるような新たな様式を狩野派に取り入れました。狩野派に新風を吹き込んだという点が、中興の祖といわれる所以かと思われます。探幽斎と称してからは、やまと絵を学び、更に画風を進化させていきました。天才画家探幽が、学芸の神である天神様に捧げた御神号が本作であるといえます。

最後の文字「神」のはらいの先は、天神さまの愛した、そして清廉潔白な君子の象徴とされる白梅となる形で描かれています。数多ある御神号のなかでも、絵師の作らしく特に華やかな一幅です。

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