境内のご案内
今出川通りに面して建つ高さ11.4メートルの大鳥居。木曽の花崗岩の一本柱で、大正10年10月に建立されました。上部に掲げられた扁額は高さ2.7メートル・幅2.4メートル、重量は563キログラム。平成26年に修復がなされ、閑院宮載仁親王御筆の「天満宮」の文字が美しくよみがえりました。
楼門の上部に掛けられた額には、「文道大祖 風月本主」の文言が刻まれています。平安時代中期の学者・慶滋 保胤、大江匡衡が菅公を讃えた言葉です。年末に奉掲する干支大絵馬も、京の師走の風物詩として知られています。
御本殿前の中門で、日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれます。ただ、実際には星の彫刻はないとも言われ、「星欠けの三光門」として「天神さんの七不思議」に数えられています。
御祭神菅公をおまつりする御本殿と拝殿、石の間、楽の間を連結した日本最古の八棟造(権現造)です。現在の建物は慶長12年(1607)に造営されたもので、桃山時代の華麗な装飾とともに、歴史的に非常に貴重な建築とされています。
北野天満宮の境内には、御本殿を囲むように50の摂社と末社が建ち並びます。 菅公ゆかりの方々をおまつりした社もあり、その御神徳も多彩です。当宮へご参拝の折は、こちらのお社にもゆっくりとお参りください。
年間行事の中で、狂言や日本舞踊が奉納されるほか、毎月25日に神楽舞が奉納されます。
国宝「北野天神縁起絵巻」をはじめ、皇室、公家や武家より奉納された当宮の数万点にも及ぶ宝物を収蔵・公開しています。毎月25日とその他期間限定で開館しています。
平安時代、菅公がお住まいになられていた御邸宅「紅梅殿」の名をつけ、ご祈祷や神前結婚式、曲水の宴などを行う由緒ある御殿。紅葉や梅花の時期には、紅梅殿前に広がる「船出の庭」も美しく彩られます。
令和9年斎行の「千百二十五年 半萬灯祭」に向けて境内整備の一環として、平成27年(2015)に紅梅殿「船出の庭」が作庭されました。船出の庭は、菅公の邸宅に実際にあった庭園で、北野天神縁起絵巻等を参考に再興されました。
境内西側の紙屋川に沿って約350本のもみじが続く散策道が延びています。初夏には目に鮮やかな青もみじ、そして秋、もみじが色づくと豊臣秀吉公が築いた土塁「御土居」の一部が残り、史跡に指定されています。
梅を愛した菅公ゆかりの梅の木50種約1500本が境内に咲き競います。当宮の梅苑は、名勝「雪月花の三庭園」のひとつ「花の庭」に数えられ、例年2月上旬から3月下旬まで公開し、花の盛りには多くの参拝者でにぎわいます。
切妻造り、銅葺きの四足門。ここから西陣の花街・上七軒一帯は、京都らしい町家も残る人気のエリアです。
門前には、西陣織りの発展に貢献した五世伊達弥助を讃えた「西陣名技碑」が立っています。
学業成就、合格祈願などの願いが込められた絵馬は、毎年数十万枚にも及びます。
現在の絵馬所は元禄12年(1699)に建てられ、規模、歴史は現存する絵馬所のなかでも随一と言われています。京都市指定有形文化財です。
お札やお守りは新年などに新しいものと替えるのが古来の習わしです。古いお札やお守りは納札所へお納めいただき、新しいお札・お守りをお受けください。
自動車のお乗り替え等の折に車祓いを斎行します。ご希望の方は、事前にご連絡ください。
もみじ苑にあり、紅葉シーズンには本格的な「濃茶」の席を設け、参拝の方をお迎えしています。
豊臣秀吉公が催した大茶会「北野大茶湯」で、細川三斎が使ったとされる井戸があります。
天正15年(1587)10月1日に「北野大茶湯」が行われたことを記念して、毎月1日と15日に献茶会が催されています。
初雪が降ると御祭神が降臨され、雪見の詩を詠まれるという伝説が残る松の古木。「天神さんの七不思議」のひとつです。
豊臣秀吉公が天正15年(1587)に催した「北野大茶湯」で、茶の湯用の水を汲んだと伝わる井戸。
旧社務所を修復・耐震工事を施し、新たに風月殿として生まれ変わりました。この建物は、明治六年頃公家高倉家の建物を拝領して移築されたもので、かつては小教院・皇典研究所として使用された歴史があります。建物奥には、植治次期十二代小川勝章氏によって風月の庭が作庭されました。
天神信仰発祥の地に建つ「文道会館」は、天神信仰の更なる昂揚を目指す教学的な活動を行う場として、また菅公の御心が宿る伝統芸能など様々な文化行事の発信基地として活用する建物です。
開門時間
7時〜17時