
1100年大萬燈祭は、誠の一語を以てご生涯を貫かれた
菅公を景仰申し上げ、
次世代に継承して行くお祭りです。
御祭神菅原道真公は延喜3年(903)2月25日、無実の罪も晴れぬまま太宰府の配所で昇神されました。
天暦元年(947)おいたわしい御神霊の慰霊と皇城鎮護の神として北野の地にお祀りされました。
その後、皇室や藤原氏、そして武将を始め一般民衆に至るまで広く崇敬を集め今日に及んでいます。
2月25日祥月命日の梅花祭、薨去後50年目毎の大萬燈祭などの祭典は、のちのちまで丁重に祀ることにより、その御神霊はいよいよ浄化され、御神徳は更にあらたかになるという古代からの信仰の姿に基づいており、正に日本人の信仰そのものなのです。
道真公の御神徳は数えつくせませんが、主なものは次の通りです。
雨を降らす雷を古代人は天神として崇めた。秋のずいき祭は天神信仰の姿とされる。
「海ならずたたへる水の底までも清き心は月ぞてらさむ」 御歌が示す通り清く明き誠の心を生涯貫かれた。また、「9月10日」の詩・「恩賜の御衣」に象徴されるのは忠誠心。配所で天皇から賜った御衣を毎日捧持し、余香を拝された菅公に至誠の権化として神格の一面を見る。
配所で薨去された菅公の冤罪が晴れたことを祝う明祭は4月20日。このことから無実の罪に泣く弱者を救って下さる神との信仰がある。
道真公は早くも五歳で和歌を詠み、11歳で漢詩を作り14・5歳で天才と賞賛され、後には「文道の太祖・風月の本主」と仰がれた。また江戸時代に寺子屋が庶民の教育機関として普及し、毎月25日には「天神講」が行われ書道の上達と学業成就を祈った。
室町時代、禅僧の間で、文学神として菅公の信仰が広まった。京都の東福寺開山聖一国師が宋から帰朝、博多の崇福寺に住した時、菅公が出現、禅を問うた。国師が「我は入宋して仏鑑を師と仰いだ、この人に参禅するように」と答えると、菅公は即日、仏鑑にまみえ、衣鉢(奥儀)を受けたという説話。
豊臣秀吉公の北野大茶湯をしのんで、今も毎年献茶祭がある。また、出雲の阿国が初めて歌舞伎踊を演じたとの記録もあり、古くから当宮社前で舞楽などの催しがあった。近年、落語発祥の地として碑も建立された。
2月25日の梅花祭に白梅42本・紅梅33本の小枝を挿し玄米を入れた筒状の紙立(こうだて)をお供えします。これは男女の大厄を祓う意味が込められています。