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文子天満宮祭(あやこてんまんぐうさい)
天慶5年(942)7月12日、西ノ京七条二坊十三町(現在の西ノ京北町あたり)に住んでいた多治比文子(たじひのあやこ)という童女に「右近の馬場(現在の本社の鎮座地)に天満宮を祀るように」との神託があったが、家が貧しく祀ることができず、かわりに自宅の近くにお祀りをしていた。
その後、天暦元年(947)に、近江国比良宮の神主神良種(みわのよしたね)の子の太郎丸という7歳の少年にも同じく神託があり、その神託のとおり、数千本の松が一夜にして右近の馬場に生じたので、文子・良種・北野朝日寺の僧最珍等が協力して、同年6月9日に現在の場所に天満宮を建立したのが当宮の創祀となっている。
そして、この文子の宅跡を霊地として社殿を創り改め、文子天満宮と称え、傍らに七保会御供所の会所をおき、北野神人が奉仕、神託のあった7月12日を例祭日に定めたが、寛永2年(1625)に内大臣二條康道より神輿の寄進をうけたのを機に、4月7日出御、4月16日還幸と改め永例としてきたが、明治6年維新による旧儀の廃止に伴い、当宮境内の現在の場所に遷座、旧地には明治35年に小祠を建てて御旅所として4月12日から16日まで神輿を奉安して往時を偲んだ。
近年は、4月の第3日曜日に還幸祭が行われるようになり、その3日前本社から御旅所に神輿が出御する。
両日共、西ノ京の氏子区域内を神輿がねり歩き、京都の春祭の魁となる。
北野天満宮境内末社 (境内北東に鎮座)
京都市上京区上ノ下立売通御前西入上ル北町54
※いずれも北野天満宮前下車すぐ