通りゃんせ♪ 天神さまの寄り道事典

伝説から、お参りに役立つハウツー、おもしろエピソードなど、
北野天満宮と北野界隈のうんちくやトリビアをご紹介。お参りが楽しくなる豆知識の事典です。

第1話 天神様と牛

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当宮の境内には横たわった牛(臥牛)の像が数多く奉納されています。御祭神菅原道真公(菅公)と牛にまつわる伝説や逸話が数多く残され、菅公は承和12年(845)に誕生され、この年は乙丑(きのとうし)の年でありました。延喜3年大宰府でご生涯を閉じられた際、「人にひかせず牛の行くところにとどめよ」との遺言から御遺骸を轜車(牛車)にてお運びする途中で車を曳く牛が座り込んで動かなくなり、やむなく付近の安楽寺に埋葬したという故事に由来しております。国宝「北野天神縁起絵巻」の序文には門前にて休む茶色と黒色の牛が描かれており、絵巻物の巻五には菅公の御遺骸を運ぶ茶色と白色のまだら模様の牛が描かれています。絵巻の詞書には「筑前の国四堂のほとりに御墓所と点しておさめん奉らんとしける時、轜車道中にとどまりて肥性多力の筑紫牛曳けども働かず其所をはじめて御墓所と定めて今の安楽寺と申すなり」絵巻に登場する牛と菅公の深い繋がりがわかります。絵巻には配所の大宰府にある天拝山で無実の罪を神に訴える祭文読み捧げる場面があります。菅公は七日七夜祈られ「天満大自在天神」の神号とならせ給けると詞書きにあります。大自在天は元々ヒンズー教の神とされており「三目八臂」(さんもくはっぴ)三つの目と八本の腕を持ち、白い牛にまたがっています。もう一つの神号は「日本太政威徳天」密教の大威徳明王に由来されており「六面六臂六足」で炎を背負い、水牛にまたがった姿です。菅公は、北野天満宮の地に祀られていた火雷神(摂社火之御子社)と結び付けて考えられ、火雷天神、のちに日本太政威徳天、天満大自在天神などの神号が確立することにより、菅公の神霊に対する信仰が「天神信仰」として広まり、侍従している牛が後世には、菅公の「神の使い」と称され、神秘的な伝承を現在でも多く伝えています。牛の信仰は、現在では「撫牛信仰」として広がり、横たわった牛には、諸病平癒の力があると考えられています。

北野天満宮境内の北西、乾(いぬい)の位置に当宮で最も古い撫で牛の像があります。この場所は、北野天満宮が平安京の乾に位置し乾天神と呼ばれ親しまれ、さらにその境内の乾という神聖な地、聖地であり、元々本殿の北西隅は江戸時代より一願成就所・乾さんと呼ばれて信仰されてきた場所です。朱塗りの鳥居が設置され、鈴なりの祈願絵馬が掛けられ、牛舎には多くの学生・受験生等が訪れ、祈りを捧げれれています。一願成就所、牛舎、乾さんとも呼ばれて親しまれた臥牛の石像が、頭は積年の傷みで少しかけて、台座の御影石に置かれています。牛舎は淳和2年(1802)の900年祭絵図にも載っおり、本社の信仰と共に、願事が必ず叶う。一願成就所として古くより特別な信仰をうけ、ご利益あらたかな社として、遠方よりの参詣者が絶えません。 牛舎の北側に、柵を巡らし注連縄で囲まれた所に大きな石、亀石があります。牛舎が南西の隅に移された間も乾の隅にそのまま鎮座し、牛の石像が陽石を象徴し、亀石は陰石ともいわれ、両方を御参りし御神徳をいただく、陰陽合い和す陰陽石として信仰されており、これは古代信仰の名残りとも云われています。

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第1話 天神様と牛
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